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ポエり場 野村喜和夫詩集を読んでみた

野村喜和夫詩集を読む。

ツイッターでタグ「#ポエり場」をはじめて、松本さんから野村さんのお名前が上がったので、早速詩集を読んでみました。
実を言うと、まだ全部は読めてなくて、最初のほうだけです。あとになるにつれて長い作品が多くなってくるので、最初のほうの作品を選んでここで超個人的な感想を書いてみたいと思います。

渡邊十絲子「今を生きるための現代詩」には「わからない状態のたいせつさ」が説明されている。わからないものというのは、馴染みのないもの、未知のものである。私たちは自転車に乗れるようになると、乗れないということができなくなる。渡邉さんが本の中で例にあげられている文章である。物事や言葉がわかると思うと、わからないでいるということができなくなる、ということか。

馴染みのない、わからない言葉や文脈を目の前にすると、わからないからと読むのをやめてしまう。詩は謎の種である、と十絲子さんは言う。わからないをこころにしまって発芽をまつのだと。

だから、わからないことを恐れないで読んでね。ということなのだろう。
だが、しかし、私たちの日常はめまぐるしく過ぎていく。
ゆっくりした時間はなかなか持てない。
持てないのではなくて、持とうとしていないのかもしれない。動いていれば、とりあえず日々の雑事は済ませられるし、あれこれ考えなくてもいい。考えることの大切さと考えないことの大切さのなかで暮らしている自分に、わからないことをずっと覚えていることができるのか。忘れてしまうことのほうが多いと思う。と思いながら、野村喜和夫詩集を開いて見る。

野村喜和夫詩集 思潮社 1996年9月発行

今は8月だから、丁度17年前に出版された詩集である。

17年前、と自分のことを思い出す。おおざっぱに言うと、未来があると思っていた頃だ。疑わないくらい自然に、未来があると思っていた。その頃、野村さんのお名前を知らなかった。17年前の私は詩集を読まなかった。読まなくても生きていたし、書かなくても生きていた。こんなふうにブログを書くことも、想像できていなかった。

詩集は未完詩集〈言葉たちは芝居を続けよ、つまり移動を、移動を〉から、というタイトルではじまる。

作品のタイトル。「息吹節」「裂開節」「顕現節」と続く。この馴染みのなさに、わからないと思い、渡邊さんの言葉を思い、松本さんのツイートを思い、した。
今日、詩集を開くのは、何回目かな、たぶん5.6回は開いたと思うのだけど、一回目は最初から読もうと思って読み続けて、でも、わからないと思ってるから、いくら読んでも言葉が素通りする。何がわからないって

息吹節

這う目の先へ息。
こころみに吹ききかけて。

中略

ニュートリノ。

などなど、ん、と立ち止まってしまい、それは、自分のなかで言葉と言葉の意味とかつながりを探してしまっているのだなと自分で思う。いや、ここであきらめてはならじと続けて読んでいくと、馴染みのある言葉のタイトルをいくつか過ぎて、「内転膜」という〇〇節の再来のような言葉に出会い(ただ3文字で漢字っていうことだけど)、読み始めた私に希望の光が差したのです(ほんとうか)。

内転膜

 内転膜、
 と書いて。


 しかし困ってしまう、
 のは、私はそれがどんなものかまるで知らないし、
原生動物にあるらしい、でもなぜ―とだけわかってい
て、あとは不明のままその不明を裏返す、といって悪
ければ単にめくる、楽しい既知へとめくる(たとえば百科
事典を文字通りめくりながら)、というようなこともし
なかったので。

 にもかかわらず、
 内転膜、
 と私は書いてしまう。
 のは、それはつまり、もし不明を裏返したとしたらそ
の時点で、不明をこそバネの以下の記述はたぶん全くあ
りえなかっただろうということのほかに、あるときふと
その言葉を眼にしてからというもの、でもなぜ、それが
眼の裏からいきなり記憶装置のみなもとまで達して、い
わば私のなかに棲みついてしまったからなのだ―意味
よりも何よりもさきに。

 まるで言語の
 きりりとした孤島のように。


まだまだ、この詩は続いていくのだけど、これを読んで、安心していた。書いているご本人も困っているのだなと。それで、書かれた言葉を、書かれたようにたどって行くといいんだなと思った。

なんて親切なんだろうと思った。と同時に、詩は書いた人の眼の裏からいきなり記憶装置のみなもとまで達した意味不明な言葉なんだから、わかるわけない、と思ったのであった。

それで、最初に戻って息吹節を読んでみると、なんてたくさんの言葉たちが息吹の節によって踊っているんだろう。

息のした。たまらなく秘匿され。

水を通さない実名詞のうす膜。

なまの。

まだ泡。

流木ら。

などなど、羅列してみても、ジャンプするような言葉の数々の勢いは変わらない。

最終行を写してみる。

みえる曠野の不充足のさき。
ごった煮の道々をぬけて手にない蛇のうねる聖痕よ。

見える曠野に不充足があると書いてある。と受け取る。
そのさきに、手にない蛇がうねっている。と受け取る。
聖なる痕、とは、私にはちょっと受け取りにくい言葉であるが、これは野村さんが書いたもので、しかも、書いたものであってももう詩の作品の中に、行間のなかにあらわれてきた言葉なのだ。野村さんの痕ではなく詩の痕なのだなと思う。いや、それでも、私には恐れ多い。聖という言葉を私は書けないと思う。だから、そういう言葉が出てくると、わからなくなる。受け取りにくい言葉というのがあるなぁと思う。

でも、いろんな言葉に出会えたのは楽しかった。17年もそれよりもっと前から、詩って孤島なのだなということ、なんとなくわかった。言葉を知るということもきっと孤島に違いない。知らなければ迷うことも悩むこともないことを、知ってしまったことで人も孤島になるのかもしれない。

互いの孤島に住み、互いの意思疎通のために使う言葉がある、自分のために使う言葉がある。

そんなことを思ったのでした。



| | 17:30 | comments(4) | - | pookmark |
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コメント
野村喜和夫さんの詩をお読みになっているのですね^^
野村さんの詩は一見わからない言葉が多いのですが、なぜその言葉を使うのかとか、何について書いたのかとか、それなりにちゃんと理由と理論があるようです。
ご本人に聞くと、え〜、そんなこと?!みたいな感じがけっこうあります。
だからと言って、簡単というわけではなく、理由や理論が解明できても奥深いですね。
私はあまり一語一語にこだわらず、ばーっと読んで脳に染み込ませて、それから心が納得するみたいな感じの読み方をします。
野村さんは言葉の使い方が非常に巧みだし、物語の持って行き方が上手ですね。
| はんな | 2013/08/16 5:10 PM |
はんなさん、こんばんは。
お返事遅くなってごめんなさい。

野村さんの詩はあちこちで読んでいて、はんなさんのブログでも楽しく拝見していました。
詩集というかたちでまとめて読んだのははじめてでした。

最初はその言葉の運びにとまどってしまったところもあったのですが、何度か読んでいるうちに、詩はほんとに自由なんだなぁというような心持ちになりました。

また、ブログで紹介などありましたらすぐに読みにいきますので、よろしくお願いします!
| りり | 2013/08/21 10:06 PM |
「詩は書いた人の眼の裏からいきなり記憶装置のみなもとまで達した意味不明な言葉なんだから、わかるわけない、と思った」この部分に激しく同感。さきほど、北爪さんの詩の感想も読ませて頂きましたが、胸に込み上げてくる感情に涙しそうになる、梨々さんの言葉をわたしはほんとうに大好きなのだな、とあらためて思った夜です。
| 梁川梨里 | 2014/12/28 9:20 PM |
梨里さん、こんばんはー。

ありがとう!!

私は、梨里さんからこんな素敵なコメントをもらえて、とても嬉しいです。最近はツイッターがメインになってしまって、ブログをなかなか書けないけど、そのツイッターもあんまりしていないのだけど、やっぱり少しずつでも書いていこうと思います。

こんな嬉しいコメントがもらえるんだもん、
ほんとうにありがとう。
| りり | 2015/01/11 9:29 PM |
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