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[zero]からはじまる・・・  広田修「zero」を読んで
audivistis?

疑問形で投げかけられる、何か問われている。なんだろうと調べてみたが、ラテン語であるらしいということ。キリスト教の聖典のなかにも置かれている単語であるということ。
あきらめかけたその時、そうだ車があった、と気が付いた。Audiだ。いそいそとaudiを調べる。ドイツ語で「知ってる」と出てきた。
「知ってる?」とか「聞いてる?」とか、たぶんそこらへんの意味なんだろう、と推測する。だけど、その言葉の意味がわかったとして、それが何を指しているかは経験を通してわかってくるのだと思う。
簡単に知ろうと思えば、今はネットという便利なツールがあるから、何秒とか何分とかの速さで、わからないことが文字を読めばわかってしまう。それはあくまでも文字の上でわかっただけで、ほんとうにわかるということが生きているあいだにあるとすれば、身に染みて、とか自分のこととして「わかる」ところにたどり着けばよいのだけれど。なかなかそういうわけにはいかないので、詩集を読むことにする。はじめてこの詩集を読んだ時から、4か月が経っている。

「zoro」
これは詩集のタイトルです。この詩集を手にしたとき、なんだろうなぁ、すごくうれしかったことを覚えています。白地の表紙に、薄い紺色のアルファベットがあるところには見えてあるところには消えて、ほかのものは点々と規則的に並んでいるような感じを受ける。読めない文字。表紙を、私はそう読む。
広田さんは若い人、哲学、法学を学んでいる人。
私はそのどれも持っていない。哲学は少し興味がある程度。
自分が持っていない言葉の領域で書かれる、どちらかというと感情を排したような印象を受ける詩に惹かれた。
詩集を手にしたときの嬉しさを今思い返してみると、ほんとうに「zero」からはじまるのだ、そのはじまりを読むことができることを、強い波動で受け取ったようです。

しかし、しかしです。何度か読んでも、感想の糸口は見つからず。最近ではちらちらと一行、一語を読みながら、ぼんやりとしていることが多くなりました。いえ、全然なかったのではなく、ぼんやりとした幻想のなかで、私が見ていたのは冷蔵庫でした。

今の家に引っ越しが決まり、いろんなものを片づけていくなかで、もう使わないものは思い切って捨てて、まだ使えそうなものは誰かいる人にあげたりしていた。最後に残ったのが、冷蔵庫。グレーの全身、夜に青いイオンランプが灯る。

『時間は円をめぐる歩行者のようで、はてのない夢境にて死を装い続ける。驟雨にぬれた林
 の小道で、あざやかな多面体をステッキで描く。数々の速度がきざまれた年の舗石の上で、
 マッチの火をともす。視界をおおい始める煙雪に足をとめて、黄道へとのぼっていく。
 彼の親指の空洞には夕暮れの空がひろがっていて、ガラスでできた小部屋で少年が恋文を
 書いている。時間には足音がない。』

 「機械」の書き出しの部分から引用。

引っ越しが決まるまで、その冷蔵庫に特別な感情はなかったのだけど、引っ越しが決まり、毎日のように夜が来てしまうことに驚いていた。一日一日が過ぎていく。誰も止められない。夜が来るたびにランプが、何か言いたそうに青く光っている。

そういうことだったのか、と、冷蔵庫に対してわかるはずもないのに、この「機械」を読んでいて、冷蔵庫の思っていたことがもしかしたらこんな感じだったのかもしれないと思う。それほど、ひとつのタイトルに対して、ひとつの言葉に関して、静かな推敲がなされている詩だと思う。

広田さんの詩の基底を担う「法学」という詩。

『 第一章  権利
 
 君をみたす酸素分子はさだめられた方向を見失うとき、霧となる。池のおもてで朝日が
砕かれていくのを、君は燃える指でなぞる。どこまでが記憶なのだろうかと、問うことも
しない。背後にあいた小さな穴へと、君の体は奪われてゆきそうだ。

(略)

  第二章  失踪宣言

(略)
  
  彼の言葉のない夢の中で、塔は完成した。それは海に浮かぶ街の中心で、人々の視線
 をはね返していた。

(略)

  第三章  債務不履行

(略)

   僕は空におびただしい数の死んだ卵を見る。幻覚は水のように僕の感情をみたしてゆく
  ので、現実という水は希釈され失われてしまった。僕には手の甲で日差しをさえぎること
  しかできない。

言葉の意味を知ろうとしたとき、辞書にある言葉を読めばいい。だけど、その言葉を実際に使うときの自分の状態を示すものを私たちは教えらてこなかった。「ありがとう」と言うとき、「さようなら」と言うとき、私は私にしかわからない言葉の拠り所を自分のなかに置いていく。広田さんの詩の言葉は、その言葉を使うときの姿勢みたいなものを指してくれている。だから、法学を知らない私でも、読んだときなるほどと思える。

「忘れられた本」や「桃の実」などの行分け詩では、また違った印象の詩を読むことができる。広田さんにかなり近い、等身大の言葉があざやか。

『桃の実』

桃の実は人を裁くという
僕が試験に落ちたとき
確かに桃の実はわらっていた


後半の詩群は、ほとんどが散文詩。「処刑」「卵」「夜」「眼」。
どれも少しずつ物語が広がっていくような感じがする。
個人の生である広田さんと、詩のなかでの物語が、つながっていく感じがしておもしろい。

私はたぶんこれからもずっと冷蔵庫のことを思い出すだろう。
思い出すたびに、この詩集を読むと思う。
冷蔵庫とは一度も話せなかったけれど
詩を読んでいると、冷蔵庫と話している気がするからだ。
 




 
| | 11:01 | comments(1) | - | pookmark |
狼の目、サイの耳
窪美澄さんの本が読みたい読みたいと思って12月をはじめました。
ツイッターでつぶやいている窪さんの言葉もとても好きだなと思った。
うん、今度の給料日には本を買いに行こう。

ところで、12月に入ってからほんとうに寒い。
低気圧の接近で、荒れた天気が続いている。
風、雨、雪、みぞれ。一日中、繰り返し、それが一週間続いた。
今朝は曇ってはいるけれど、今のところ雨も雪も降っていないし風も止んでいる。
とても静か。
それがやけに落ち着かない。
眠っているときも降りつ続いた雨や雪や、風の音、雷の音が耳の奥で渦巻いていて、拾った音の中に自分がいるので、外の静けさが変に感じる。見えているのは静かな景色だが、聞こえてくるのは嵐。目で見えるものと耳で聞こえるものが違う。

同じような違和感を人に対してとか物に対して、感じることがある。
誰かと話しているとき、とても楽しい話をしているのに心が落ち着かなかいようなとき。
自分の中で器官の差異が起こっているときだ。
これがあることで、自分がどうしたいのか、どうすれば心地よいと感じるのか、自分の好きなものが改めてわかるような気がする。


狼は舌を出すか

セロテープのような舌でおおかみはくだものを貼った
赤赤、赤と紫、黄いろ
狼の目の裏に住むサイが狼の貼ったくだものの色を押し固める

くだものは壊せない
壊せないからもいでひきちぎってつめをたてて
かーわーむいてがぶっとひとのみからだのなか
くさってとけて色になっていくのさ

狼のくだものにはかたちがないので
あかあか、あかむらさき、きいろ
色になって散らばる今日の景色のなかを
ゆっくりとした足取りでサイが横切っていく



光冨いくやさん編集・発行の「狼」が創刊15周年を迎えました。
只今、24号が絶賛発売中。
執筆者は27名にもおよび、その方々のプロフィールだけを見ても多彩な顔ぶれです。
狼編集室では詩集制作のお手伝いもはじめられました。
「狼」24号、アマゾンでぜひ、チェックしてみてください。


 
| | 11:13 | comments(2) | - | pookmark |
梅雨

いつも何か大事なことが、自分以外にあると思っていた。
そのためにいろいろな状況や方法を考えなくてはいけないと思った。
大事なことはすごく身近にいると思える時もあれば、随分遠いところへ行ってしまってどうにもならないのだなと思うこともあった。

この一ヶ月あまりは、その、どうにもならないのだなと思うほうにいて、雨が降れば早く起きて夏野菜の葉に落ちる雨を見ていた。晴れたら晴れたで早く起きて、日に光るトマトやきゅうりの実を見た。

夜を知らないでいる。夜になれば夜に出会うというのでもないので、知らないと言ってしまえばとても簡単なことのように聞こえる。自分以外の夜。

遠ざかっていくときに、なにかしら合図みたいなものがあって、合図だなと思ってしまうと身構えてしまうのが嫌で、素知らぬふりをしている。そのまま日付を繰り返し数えていれば、その日が来る。合図だと思ったのも自分で、わかっていて知らんふりをしたのも自分。夜に何度か出会っていたんだろう。知っていることがいくつかあった。それなのに知らんふりをしたのは、知らないように見えたほうがお互いしあわせだとおもったから。

梅雨の雨、台風の風、低気圧、豪雨、落雷

雨、雨、雨

どこからがしあわせで、どこからが雨ですか。

夜は来る。



きちんと気持ちを整理することが苦手です。
何か書こうとすると、こんな感じになってしまいます。

こんな感じで日々を過ごしているあいだに、「せんのえほん」という本を出版できることになりました。第一詩集「たくさんの窓から手を振る」の表紙絵を描いてくれたcocaさんとの共作になります。cocaさんの描かれた絵を並べて、物語を書かせてもらいました。本の紹介と購入ページです。


cocaさんのブログ


七月堂さんのサイト



はんなさんのブログにも取りあげてもらいました。

詩織


ありがとうございます。


詩集を買ってくださるかたもいて、ほんとうに嬉しいことです。

新しいもの書かなくちゃ、ですね。


たぶん、いろんなことを忘れていて、失礼しちゃうこともあって、だけど書いている。ごちゃまぜになりながら書いていく。

| | 20:02 | comments(0) | - | pookmark |
「鏡面」 北爪満喜

鏡面
 
    北爪満喜

表札に死んだ父・母・祖母の名前・生きている私の名前


***


詩作品のはじまりに置かれた少し小さな文字列。
正直に話すと、私はこの一行でこの詩が好きになりました。
人のこと、ではなく、自分のこととしてこの詩がよめる予感がしたからです。

表に立って表札を見てから、詩は家のなかに入っていく。玄関から裏口まで通り抜けられるコンクリートの三和土がある。通り抜けられるというところで、さあっと風が吹く様子を思い浮かべた。誰かがやって来て通り抜けていくようなことがあるなぁと思う。父も母も祖母も、もっと言えば祖父や親戚やいろんな人たちがここを通り抜けていった。三和土には水の染みがある。この染み、生きている証のようなものなのだろうか。通り抜けていった人の姿は見えないけど、染みがいつもかすかに濡れている。そして、匂う。この水が洗濯機へと私を呼ぶ。死んだ人と生きている人の並ぶ表札から、生きているほうへと呼ばれているようだ。だけど、洗濯機は埃にまみれていて、たどり着いたのは、洗濯機のそば。木の柱にかけられた鏡だった。

玄関から三和土、洗濯機、鏡。どこかに生きているという証拠を探そうとしているようにも思える。が、行き当たった場所にその鏡はあった。汚れて薄茶色になった鏡に自分の顔が歪んでいた。

別の顔。

と、詩に書かれている。

今生きている自分の顔とは別の、今自分がこんなふうだなと思っている顔とは別の、みたことのない顔。

みたことのない顔ってどんなだろう。

自分が自分であるってことを簡単に覆してしまうような、自分という拠り所がないような、顔。

私が私だって思えることの理由があるとして、例えば、両親がいる(いた)ということ、友達との関わりの中で、職場のなかで、など、どれも人間関係があるところに私はいる。これは、自分以外の人に対して、自分がどう関わっているかを見ることができるから。相手が、自分の鏡である。人に対してのいろいろな自分が映し出される。

もうひとつは、自分が自分を見ること。今日はどんな表情をしているか。どんな色の服を着て、どんな色のリップをしているか。鏡を見ればわかる。笑う時の表情、足の組み方、口癖、これまで過ごしてきた年月の中で、私はこんなときに怒ってしまうとか、どんなものが好きかってことが自分でわかる。

人が自分に対して、この人はこんな風な人だとある程度わかっていたもらうことは、信頼の基盤になると思う。家族にしても友達にしても、自分自身に対しても、自分てこうなんだよなぁって今こういう気持ちでいるんだなと信じられる部分があるから、生きていける。

みたことのない顔。

ってうのは、自分が自分じゃない、信頼とは全く別のところにいる自分ってうことかなと思った。自分なんて信用できない。これまで培ってきた自信とかっていうのは、いとも簡単に敗れる。重ねてきた時間なんて関係なしで、瞬時に、あっという間にへし折れる。そんな、自分ではない自分を、北爪さんは鏡に見てしまう。

見てしまったことを「もらう」と書いてある。

それはやっぱり自分から自分へともらったものだろう。

もらったものの「可笑しくて哀しい」。

いや、別に、もらわなくたってよかった。はいそうですかって、向きを変えれば、もう見えなくなるものだから。ある日の出来事のように、埃だらけの鏡があってね、それがまた歪んでるから私も歪んで映るのよ、って笑い話に友達に話したって全然構わない。なのに、もらってしまったからね、他でもない自分に。

可笑しいよね。自分じゃないのに自分なんだし、自分なのに自分じゃなくて。

もらったばかりに哀しくなって。

でも、

もらったのも、可笑しかったり哀しかったりするのも、それは自分だからで。

ほら、やっぱり自分なんだって思ってる。北爪さんはそう思っているのだ。

思ってるけどそれは書かない。だって、思った時点で私は私、それを説明する必要はなくなる。


自分が自分と信じて疑わないもの。
それはどこにあるのだろう。

これまで過ごしてきた過去にあるのか、それとも大事な人がいるという思いであるのか。
そんなことを考えながら、北爪さんが撮った北爪さんの写真を見ている。

自分ではないと疑ったものも
自分だと信じるに値すると思ったのなら

それはまだ見ぬ表情で私の前に立っている、鏡の中の私であるかもしれない。

「剥げかけた金色で前橋信用金庫 の文字」

この詩の最後も好きだ。

この文字は鏡に映し出されたものではない。鏡面に書かれてあるものだ。
鏡のこっち側とかあっち側ではなく、鏡面にある。

剥げかけた金色も、故郷の前橋も、信用金庫も、それらは鏡に映るものじゃなくて確かなものとしてあるような気がする。北爪さんを呼んでいたのは文字だったんじゃないかなぁと思うと、写真の北爪さんがわずかに微笑んだようにも見えた。


| | 19:13 | comments(0) | - | pookmark |
秋 梅酒 びーぐる21号

すっかり涼しくなった休日の朝。

ゆうべは久しぶりに仲良しの友達と飲みに行きました。
最近は飲みに行くともっぱら梅酒です。
梅酒は家でも漬けていたので、飲みに出てまで飲むということがこれまではなかったのですが、ロックの氷をからから鳴らしてちょっとずつ口に含むのが定番になりました。
田舎の飲み屋さんでも、いろいろな種類の梅酒を用意されています。
以前、家でブランデーの梅酒を作ったことがありますが、あれはほんとうにおいしいです。

さて、宮岡絵美さんからのコメントにもありました、「びーぐる」21号。
詩作品を載せていただきました。
写真を、ということだったので、ツイッター連詩(宮尾節子さん主催)用に撮った写真の横向きバージョンを送りました。
実際に写真を撮ってもらったときは、もう少し輪郭とか見えるような感じだったので、はっきりとは見えないけど、だいたいこんな感じというところでいいんじゃないかと自分でも思ったのですが、プリントして見るとほとんど見えません、笑。逆光ってすごいなぁと感心するほどです。というわけで、なんだかわからない神秘的な写真に思えるかもしれませんが、あれは、偶然が作り出したただのおばさんの姿です。あしからずご了承いただければ幸いです。

びーぐるは21号から5年目に入り、表紙もこれまでのものとは一味違った趣になりました。

表紙ラフ(編集人 山田兼士さんのブログより)  

びーぐる21号 目次
  

新鋭気鋭の詩人さん、歌人さん、俳人さん、アンケート集計など、総勢68名の乗組委員での出航です。びーぐるは創刊号から読ませていただいていた幼馴染のような詩誌です。文月悠光さんをはじめ江夏名枝さん、草野理恵子さん、疋田龍乃介さん、清野雅巳さん、など知っているお名前もあり、とても楽しみにしています。

現代詩手帖での特集4月号でご一緒させていただいた、宮岡絵美さんとまた「びーぐる」でも
出会うことができ、とても嬉しい気持ちです。

発行は10月20日予定。
たくさんの方に読んでもらえるといいなと思っています。

びーぐるの発行は澪標。大阪の出版社で、ほかにも詩集や文芸集など多数出版されています。ではでは、10月20日にお会いしましょう。

株式会社 澪標  







| | 08:01 | comments(0) | - | pookmark |
蝉のこと

まだ蝉が鳴いている。

暑い夏のあとの長雨で、すっかり朝夕涼しくなった。9月の一週目は日中も寒くて、二日ほどは長袖を探し出して着ることにした。今週、二週目は暑さが戻り、日中は汗ばむ。夕方になるとツクツクホウシの鳴く声が、暮れかかった夕日の町で聞こえてくる。

まだ蝉が鳴いている。とは、私の勝手な言い方で、蝉の方は暑い日中を目指してやっと羽化したところなんだろう。日が暮れると一斉に鳴き始める虫の声が、開け放した窓から部屋中を満たしていく。秋だと勝手に思っている。

なんとなく、本を読める気になってきた。
あったかい夕食が食べたいと思う。
梨がおいしい季節。

そんなことを思っているから、夕方鳴く蝉を「まだ」と言ってしまう。

もうみんな夏のあいだに鳴いて生きたんだよ。
もうみんな行ってしまったんだよ。
どうしてもう少し早く出てこなかったの。
そうしたら仲間にもたくさん会えたし、恋もできたかもしれない。

「まだ」という気持ちにたくさんの後悔を伝えようとしている自分は嫌だなと思う。
一回きりの生の時間を必死で鳴いている蝉に、まだなんてことは関係ない。
今が夏なんだ。
だから、力の限り鳴いて飛んで、仲間の蝉に会えるかもしれないのに、それをこっちで「まだ鳴いている」なんて言っちゃいけないなと思った。

蝉には蝉の空があって、

というようなことを考えているとき、ネット上で白鳥省吾賞のサイトに出会った。

栗原市で毎年応募をされている白鳥省吾賞の発表のページ。

第14回では、「蝉」という詩を読んだ。
蝉が嫌いという書き出しではじまる。どんなところが嫌いかを書いていくのだけど、最後までやっぱり嫌いで、でも、嫌いなもののことをそこまで観察していたのだなと思うと、嫌いっていう感情は人に冷静さを与えるものかもしれないと思う。

http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,0,64,288,html


第13回では「蝉よ、鳴け」で、暑くなってもなかなか鳴かない蝉にエールを送る詩。

http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/12,0,64,168,html


夏休みの詩の課題をしている人に是非読んでもらいたいなと思ってアドレス貼っておきます。

| | 20:50 | comments(0) | - | pookmark |
ポエり場 野村喜和夫詩集を読んでみた

野村喜和夫詩集を読む。

ツイッターでタグ「#ポエり場」をはじめて、松本さんから野村さんのお名前が上がったので、早速詩集を読んでみました。
実を言うと、まだ全部は読めてなくて、最初のほうだけです。あとになるにつれて長い作品が多くなってくるので、最初のほうの作品を選んでここで超個人的な感想を書いてみたいと思います。

渡邊十絲子「今を生きるための現代詩」には「わからない状態のたいせつさ」が説明されている。わからないものというのは、馴染みのないもの、未知のものである。私たちは自転車に乗れるようになると、乗れないということができなくなる。渡邉さんが本の中で例にあげられている文章である。物事や言葉がわかると思うと、わからないでいるということができなくなる、ということか。

馴染みのない、わからない言葉や文脈を目の前にすると、わからないからと読むのをやめてしまう。詩は謎の種である、と十絲子さんは言う。わからないをこころにしまって発芽をまつのだと。

だから、わからないことを恐れないで読んでね。ということなのだろう。
だが、しかし、私たちの日常はめまぐるしく過ぎていく。
ゆっくりした時間はなかなか持てない。
持てないのではなくて、持とうとしていないのかもしれない。動いていれば、とりあえず日々の雑事は済ませられるし、あれこれ考えなくてもいい。考えることの大切さと考えないことの大切さのなかで暮らしている自分に、わからないことをずっと覚えていることができるのか。忘れてしまうことのほうが多いと思う。と思いながら、野村喜和夫詩集を開いて見る。

野村喜和夫詩集 思潮社 1996年9月発行

今は8月だから、丁度17年前に出版された詩集である。

17年前、と自分のことを思い出す。おおざっぱに言うと、未来があると思っていた頃だ。疑わないくらい自然に、未来があると思っていた。その頃、野村さんのお名前を知らなかった。17年前の私は詩集を読まなかった。読まなくても生きていたし、書かなくても生きていた。こんなふうにブログを書くことも、想像できていなかった。

詩集は未完詩集〈言葉たちは芝居を続けよ、つまり移動を、移動を〉から、というタイトルではじまる。

作品のタイトル。「息吹節」「裂開節」「顕現節」と続く。この馴染みのなさに、わからないと思い、渡邊さんの言葉を思い、松本さんのツイートを思い、した。
今日、詩集を開くのは、何回目かな、たぶん5.6回は開いたと思うのだけど、一回目は最初から読もうと思って読み続けて、でも、わからないと思ってるから、いくら読んでも言葉が素通りする。何がわからないって

息吹節

這う目の先へ息。
こころみに吹ききかけて。

中略

ニュートリノ。

などなど、ん、と立ち止まってしまい、それは、自分のなかで言葉と言葉の意味とかつながりを探してしまっているのだなと自分で思う。いや、ここであきらめてはならじと続けて読んでいくと、馴染みのある言葉のタイトルをいくつか過ぎて、「内転膜」という〇〇節の再来のような言葉に出会い(ただ3文字で漢字っていうことだけど)、読み始めた私に希望の光が差したのです(ほんとうか)。

内転膜

 内転膜、
 と書いて。


 しかし困ってしまう、
 のは、私はそれがどんなものかまるで知らないし、
原生動物にあるらしい、でもなぜ―とだけわかってい
て、あとは不明のままその不明を裏返す、といって悪
ければ単にめくる、楽しい既知へとめくる(たとえば百科
事典を文字通りめくりながら)、というようなこともし
なかったので。

 にもかかわらず、
 内転膜、
 と私は書いてしまう。
 のは、それはつまり、もし不明を裏返したとしたらそ
の時点で、不明をこそバネの以下の記述はたぶん全くあ
りえなかっただろうということのほかに、あるときふと
その言葉を眼にしてからというもの、でもなぜ、それが
眼の裏からいきなり記憶装置のみなもとまで達して、い
わば私のなかに棲みついてしまったからなのだ―意味
よりも何よりもさきに。

 まるで言語の
 きりりとした孤島のように。


まだまだ、この詩は続いていくのだけど、これを読んで、安心していた。書いているご本人も困っているのだなと。それで、書かれた言葉を、書かれたようにたどって行くといいんだなと思った。

なんて親切なんだろうと思った。と同時に、詩は書いた人の眼の裏からいきなり記憶装置のみなもとまで達した意味不明な言葉なんだから、わかるわけない、と思ったのであった。

それで、最初に戻って息吹節を読んでみると、なんてたくさんの言葉たちが息吹の節によって踊っているんだろう。

息のした。たまらなく秘匿され。

水を通さない実名詞のうす膜。

なまの。

まだ泡。

流木ら。

などなど、羅列してみても、ジャンプするような言葉の数々の勢いは変わらない。

最終行を写してみる。

みえる曠野の不充足のさき。
ごった煮の道々をぬけて手にない蛇のうねる聖痕よ。

見える曠野に不充足があると書いてある。と受け取る。
そのさきに、手にない蛇がうねっている。と受け取る。
聖なる痕、とは、私にはちょっと受け取りにくい言葉であるが、これは野村さんが書いたもので、しかも、書いたものであってももう詩の作品の中に、行間のなかにあらわれてきた言葉なのだ。野村さんの痕ではなく詩の痕なのだなと思う。いや、それでも、私には恐れ多い。聖という言葉を私は書けないと思う。だから、そういう言葉が出てくると、わからなくなる。受け取りにくい言葉というのがあるなぁと思う。

でも、いろんな言葉に出会えたのは楽しかった。17年もそれよりもっと前から、詩って孤島なのだなということ、なんとなくわかった。言葉を知るということもきっと孤島に違いない。知らなければ迷うことも悩むこともないことを、知ってしまったことで人も孤島になるのかもしれない。

互いの孤島に住み、互いの意思疎通のために使う言葉がある、自分のために使う言葉がある。

そんなことを思ったのでした。



| | 17:30 | comments(4) | - | pookmark |
ポエり場   参照詩作品

ツイッターでタグを作った 「ポエり場」で、名前のあがった詩人、詩作品を載せてみます。



  晴間
             
       三木 露風

           八月の

          山の昼

          明かるみに

          雨そそぎ

          遠雷の

          音をきく。



          雨の音

          雷の音

          うちまじり

          草は鳴る

          八月の

          山の昼。



          をりからに

          空青み

          日は照りぬ------

          静かなる

          色を見よ

          山の昼。




赤とんぼ

 

     夕焼け、小焼の、
     赤とんぼ、
     負われて見たのは、
     いつの日か。

     山の畑の、
     桑の實を、
     小籠に摘んだは、
     まぼろしか。
 
     十五で姐やは、
     嫁に行き、
     お里のたよりも、
     絶えはてた。

     夕焼け、小焼の、
     赤とんぼ、
     とまっているよ、
     竿の先。






ぼろぼろな駝鳥

         高村光太郎


何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺代の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。




道程

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため



#ポエり場は   こちら

| | 14:28 | comments(2) | - | pookmark |
お知らせと予告

***お知らせ***

詩歌梁山泊〜三詩型交流企画 『詩客』に詩作品と「私の好きな詩人」というエッセイで、長谷部奈美江さんのことを書きました。

詩客

詩作品 「カノープスに祈る」

「私の好きな詩人」 第87回 長谷部奈美江-中村梨々


どちらも短い作品です。すぐに読めますので、是非読んでみてください。



***予告***

アパートメント というサイトがあります。

アパートメント」は集い、同じ時間を共有し、語る場所です。
ひとりひとりがそれぞれの毎日を営みながらときどき誰かと関わっている。
そんな世界の小さな、あたたかい縮図であれたらという願いを込めて名づけました。
だからこのアパートには固有の名前がありません。ただ、「アパートメント」。
訪れてくださる方にとっても楽しい家でありますよう。

こんな文章が「アパートメントについて」という最初のところに書いてあります。

このサイトを知ったのは、ツイッターでした。たぶん、そのアパートに住んでいた人や住んでいた人の知り合いの人、お友達、いろんなつながりのある方が私のツイートも読んでくれていた。私もその人のツイートを読むのが楽しみで、いつの間にかそのアパートに住んでみる?ということになりました。

今、自分に何が書けるのかなと不安も勿論ありました。でも、何より魅力だったのは、声をかけてくださった方の写真と文章が素敵だったこと。そこに住んでいる人のいろんな表情が好きだったこと。

ひとりひとりがそれぞれの毎日を営みながらときどき誰かと関わっている。
そんな世界の小さな、あたたかい縮図

こんにちは。はじめまして。
ここから始められる文章を書いてみようと思いました。

楽しい家になりますように。

| | 20:56 | comments(2) | - | pookmark |
そこからはじまる言葉

圧倒的なもの、というのがある。

例えば春に薄桃色の花が一斉に咲く桜の木。
雷が来る前、空に走る閃光。
柿の実のオレンジ色。
蝉が羽化するとき。

人によって様々な場面があると思うが、圧倒的なもの、というのは私ひとりの世界ではないということを教えてくれるのだと思っている。

森山さんはそれを知っている人なのだと思った。



「みどりの領分」 森山恵 (思潮社)


みどりの領分に移っていく
楡の樹に手をあてて目を閉じるとみどりに移っていく

(ずっと ずっと待っていた

謎めいたみどりの色の輪が浮かび上がり
重層的な声になって踊る

まぶたの裏のわくら葉が散り落ち
手のひらからみどり色の星雲がうずまき噴き出す

(ずっと ずっと待っていた

切り捨てたもの焼き捨てたものが目の前にあらわれる
宇宙の果てまで行ってもなにも捨て去ることはできない

みどりの領分に移っていく
捨て去ったものとまた一つに繋がろうとしている

ながい髪であなたの足に香油を塗る
香油を塗りみどり色に濡れた足だけが

(そう、もう少しだけ ほんのもう少しだけ待とう

闇の奥を踏みしめることができる




この詩を最初に読んだとき、「待つ」と「闇の奥」という言葉が交互に、私のなかで繰り返された。このふたつが結びつかなかったからです。夏の暑いあいだ、私が寝ているあいだ、からだのなかで繰り返された言葉が、まるで同じ場所から生まれたようにして私を訪ねて来ました。

それは、9月の庭を見たからです。

9月の庭は荒れ放題です。木々の深緑に埋め尽くされて庭どころか家までも囲まれ、そのまま闇に同化してしまいそうです。みどりと言えば5月のみどりですが、9月の緑は5月のみどりよりは闇に湿度があるような気がします。

5月の溌剌とした「みどり」と9月の怪し気な緑は温度差があると思うけれど、その圧倒的なみどりの場所には「移っていく」ことしかできない。言葉を交わすでも視線を向けるでも夢見るでもなく、手をあて目を閉じて移るのだという。

私がずっと「待っていた」ところというのは、切り捨てたもの、焼き捨てたものがあるようだ。
だから、現実には捨てたと思ったものもそこにはある。過去。今の自分が選んで来なかった場所。

そこには何があるか。
何につながろうとしているのか。


ながい髪であなたの足に香油を塗る
香油を塗りみどり色に濡れた足だけが


マグダラのマリアがキリストに香油を塗ったという話がある。
キリスト教徒ではないので、詳しいことはわからないのだけれど、祝福と喪葬との両方の意味があるようだ。詩の最後の一行をカッコ抜きでつなげてみると


ながい髪であなたの足に香油を塗る
香油を塗りみどり色に濡れた足だけが
闇の奥を踏みしめることができる

キリストの足だけが闇の奥を踏みしめることができるという。香油だけではなく、みどり色にも濡れている足。それは「みどり」に移った自分をも含めて、闇の奥を踏みしめることができるものたち

それを  (そう、もう少しだけ ほんのもう少しだけ待とう

待っている。

待っていたのは闇だった。

闇というのは魅力的な視界。光があって闇があり、闇があって光がある。
その圧倒的な闇を、「みどり」が再現しているようだ。
無数の葉が茂り風にざわめくとき、光と闇は交互に浮かび上がる。
とてつもないみどりの領分に踏み込むために、森山さんは詩を書くのかもしれない。

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