スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
信号が黄色になったらスタンバイ
年を取るのはしょうがないことだ、と思い始めたとき、自分ではどうしようもないことに自分の意思とは関係なしにはたと自分に向き合わされてしまう。

受け入れたくないものは受け入れないで済んできたことも、これまでにはたくさんあったかもしれないが、もう年貢の納め時というやつである。

そうして自分の身体を見渡すと、なんといっても、二の腕それから膝小僧にかなり老いを背負わせてしまったことに気がつく。

二の腕は、よく言われることだけれど、ばいばいと手を振ったら、ぷるんぷるんと垂れたお肉が揺れる。はっと自分の腕を見る。いつの間にそんな姿になってしまったんだ! 思わず活を入れたくなるが、自分でも知らぬ間にそうなってしまった自分の腕を嘆く前に、いとおしさすら感じてしまうのである。よくここまで私について来てくれた。たるんたるんのぽよんぽよんになってもまだ私のそばにいてくれる二の腕よ。ありがとう。と言いたいところだが、あまりの集約のなさにがっくりくるのも事実である。
それならば、これから少しずつ筋力トレーニングをしようと思い立った。テレビを見ながらずっと腕立て伏せをするわけにはいかなかった。すでに体力が低下しているので、身がもたない。台所ジムとばかりに、大根を持って腕を上げ下げしていると、晩御飯を作る基礎体力までもっていかれてしまう。
さて、どうしようと思っていると、とてもいいことを思いついた。題して「信号待ちトレーニング」。あれですね。信号が赤で止まった時に、腕を曲げたり伸ばしたりしちゃいましょう。筋力トレーニングというにはあまりに貧弱なため、効果は期待できませんが、やった、ちゃんとやったという自己確認ができるため、これが意外に続いている。カーステから流れる音楽に合わせて、リズミカルに腕を曲げ伸ばし。こんな短い時間でも「やってる」ってことがわかり、とても気分よく仕事場まで行ける。
信号は全部で5個。下手すると一度も止まらないことがありそうですが、これまで一度も止まらなかったことはなく、トレーニングはほぼ毎日続けられている。
あとは膝の曲げ伸ばしもできたらいい。

膝はほんとにかわいそう。
重力のおかげで、膝小僧からお肉が垂れてきている。意識して力を込めないと、小僧がたるんと落ちてくる。もう小僧ではなくなってしまった。それならそれで、ずずずっと落ちてしまって、ふくらはぎから足首、かかと、かかとからつま先、ん? そしたらどうなるんだろう。巨大な足を持つおばさんになってしまうのか。やばい・・・・・・。よし、今日から小僧を大事にすることにしよう。よしよしマッサージして慈しんでやれば、引き締まるかもしれない。小僧も褒めれば伸びるだろう。

ああ、ただ、それを続けられるかが問題だ。
一日中、小僧のことを忘れているのが現実で、それで二の腕だってここまで来た。信号待ちトレーニングだったらできるかもしれない。二の腕の曲げ伸ばしは習慣になってきている。どこか信号待の一箇所で膝をさすってやればいい。
町に信号があってよかった。青黄赤があってよかった。明日も、赤信号が黄色の次にちゃんと点灯しますように。
| 老化を走ってはいけません | 20:46 | comments(0) | - | pookmark |
そんな日常

一月も10日を過ぎると、いつものような日常で日々が動いていきます。
元旦だった新鮮な気持ちはすでに記憶の彼方に流れようとしています。
そこで、ブログを書く事にしました。
これから一年のあいだに、忘れそうになる前に、ブログを書こうと思います。
そうすれば忘れることなく一年のちょっとだけ新鮮な気持ちを持ち続けることができるだろう。
という、実験みたいなものですが、うまくいくかどうか……。

年末に、マフラーを買いました。
悩んで悩んだ末に、グレーが基調のスヌードっていう形の首巻きを買ったのです。
幅のある筒状のもので、そのまま首に掛けるとへそあたりまで長さがあります。
二重に巻くと、首の周囲にフィットしてとてもあたたい。

以前から持っているマフラーを衣装ケースから取り出してみる。ベージュの長い手編み風のマフラーです。これは仲良しの友達からもらったもの。嬉しくて何度か使っていたら、あちこち引っ掛けてしまい、なるべくきれいなままでとっておきたいという気持ちになって丁寧に衣装ケースに仕舞っていました。車での移動が多いため、マフラーを巻かずに冬を過ごせるというのも、あまり使うことのなかった理由です。

久しぶりに取り出してみると、贈ってくれた友達の顔も浮かんできて懐かしく、鏡の前で巻いて眺めていたとき、あれっと思いました。

顔が老けた!!

そのせいで、柔らかいベージュの色がなんだか似合わないような気がしてきたのです。気がしてくると、あとはもう一気に似合わない。ファンヒーターの前で食べるアイスのように、若かった自分があとかたもなく輪郭を崩していきました。

生きてると老けるとは知っていたものの、それがまさに自分の身にふりかかるとやはりがっかりしました。自分の姿は鏡に映してでないと見られないので、特に顔は、毎日見てるとものすごく老けた感じはしないけど、積もり積もってある日、雪崩のごとく襲ってくるものだとわかりました。

色、艶、しわ、シミ、いろんなものがついたり逆になくなったりしてる。驚異の皮膚の生まれ変わりをこの自分が気づくのはある結果として現れたときなんだ。つまり、生きている実感を身にひしひしと感じるには、耳が遠くなったとか目が見えにくくなったとかそういう結果としてでしか知らされない。結果の集大成なんだな、わたしって。

なんて言ってる場合じゃない。これまで好きで似合うと思って着たり身につけたりしていたものが微妙に似合わなくなっている。それでも流れで、この色をずっと着てきたし似合うと思っている思い込みで、なんとか適当にごまかして来られた。でも、やっぱり似合わないのかも。

気がつけば、グレーの色を身につけることが多くなってた。無難な色。それでもスヌードっていう新しい形で気持ちがうきうきする。明るい色も来てみようかなという気持ちになる。
たぶん、これまで選んできた色とはトーンが少し変わってくるだろうとは思うけど。

黒が似合う人にも憧れるけれど、私は私らしく老いていくしかないのだろうな。


「老い」と書いて、負い、や追い、の漢字があることを思います。
置い、もあります。

負い、はこれまでの生きてきた時間を背負う。生きてきた時間と人を背負っているのかもしれません。追う、は夢を追う最終コーナーを曲がったところ。生きるも死ぬも追うことになるのでしょうか。歌「ふるさと」のうさぎ美味し、あ違った、うさぎ追いしかの山♪ というように、うさぎを追いながらふるさとに帰るのかもしれない。

置い。置かれていくのか、置いていくのか。それが問題です。自分を置く。置いたときに見えてくるものは何だろう。

そんなことを考えながら、過ぎていくのが、日常。

| 老化を走ってはいけません | 21:17 | comments(4) | - | pookmark |
空気の入れ替えをしよう

なんだかおかしい、なんだか変。
そういうことが起こります。

今、足あげたよね。一段分あげたよね。

え、なんで! 普通にご飯食べてたと思ったら、口の内側噛んじゃったよ。

というような、やられた感、あります。


私が私のからだじゃない。というようなことが次第に回数を増してくる。特に、同じことが続けて起こる。普通に食事をしていて口の中を噛んでしまうことって、そんな頻繁にあったっけ。それが日を空けずに立て続けに起こってしまう。しかも、同じ場所を何度も噛んでしまうので傷になり、いつまでも治らない。そうか、その場所を何度も噛んでしまうっていうのは、その周辺の筋肉が弱っているからだな、と予想することはできる。でも、口の中の筋肉のことを今まで考えたことがない。口を大きく開けたり、舌を出したりするトレーニング法があったことを思い出し、しめしめ、そういうことだったかとほくそ笑み、車の運転中にやってみようとする。注意散漫になってしまうなと思い、赤信号で止まった時にやりはじめると、対向車の運転手と目があったような気がする。若い女性なら気になるところだけれど、こっちはもう老化を歩いているところなので気にしない。あ、信号青。ぶぶ〜んとエンジンふかし気味に発進する。

いろんなところが我慢できずに垂れたり、落ちたり、くぼんだりするみたいです。

それは、気持ちの上でも大きな影響を及ぼします。

できなくなる、ということに気がついてしまうと、無理だからと思ってしまいやらなくなってしまうのです。これはとても危険な発想です。できないことをやらなくなってしまうと、老化をどんどん走ってしまうことになります。そうは言っても、毅然と立ち向かうことはなかなかできないことで、凡人の私などはつい、できないからやめておこうと納得していまうことがあります。できないことを無理にやる必要はないけれど、すべてを諦めてはいけないと思うのです(そうだそうだ!!)。

全部をやろうと思わなくても、できることをこつこつやればいい。

ゆっくり、よく噛んで食べる。たぶん、ペースが落ちているのです。食事も掃除も、生活のペース全体が微妙に落ちてくるのです。食事の支度が脳を活性化させているというのを聞いたことがあります。献立を考え、買い物をし、食材を選んで洗ったり切ったり。何から火にかけるのか、どれくらい煮込むのか。水の量は、調味料は。と、脳も体も休む暇なく動いています。冷蔵庫に何が残っていて、どれをどのくらい使うか、など、時間への挑戦でもあります。うん、まぁ、確かに、手間取ってるなぁと思います。何に時間をかけることができるか。

人生の選択でもあります。

からだの変化に、時についていけなくなる(つまり、老いることにがっくりくる)ことがある。だめだなぁと思ってしまう。自分を大事に思えなくなると、負の矢印がじわじわと増えてきます。周囲の人に攻撃的になるようで、これまでは思ってもいなかったことを考えてしまうこともあります。いろんな愚痴や不満を相手に対して持ってしまうのです。人の嫌な面が目について、それを言ってしまいそうになります。いや、言ってしまったほうがいいのではないかと最近思っています。私の周囲の人は、嫌な思いをしても言わない人が多いので、そんなふうに思ってしまうのです。みんな我慢している。でも、もうそんなに人の目を気にして我慢しなくていいんじゃないかって。

年を取ったので少しだけ、遠くが見えるようになりたい。

遠くが見えるということは、遠くから今の自分を見ることができる。そうすると、今どうしたらよいかが自然にわかり行動できるのではないかと思うからです。

そんなこと言わなくても十分近くは見えなくなったのだから、チャンスだね。と思ったけれど、近くが見えないってことは、遠くからの自分が見えても今の自分が見えにくい。それで、自分だか誰だかわからなくなるってことですよ。あ、そうか。それでいいのか。

って、わかった人は老化を正しく歩いている同士です。
わからない人はまだまだ若い人。心配しないで走ってってください。







| 老化を走ってはいけません | 21:23 | comments(0) | - | pookmark |
夜空に星をちりばめる

老人斑というものがある。
長年の皮膚の疲れで、カプチーノみたいな薄い色でできるシミ。
産まれてから一年365日、太陽の光を浴びて、空気の摩耗を受け、浴槽に浸り、何年何十年と暮らしてきた。
心臓の活躍、血管の働き、筋肉の縮小にもお付き合い。小さい頃から大きくなるまでの発達の過程にも手をとって付き添った。複雑な気持ちの変化には尚更だ。
手の甲や腕、ほっぺのあちこちに現れたシミを見つけて、からだにご苦労様と言わなくちゃと思う。

人間の一生を一日に例えることがある。生まれた時が朝、10代20代は昼。30代からは午後。40代は夕方。これから夜になる。生まれる前の長い時間は夜明け前ってことなのかな。

24時間で例えることもある。年齢に数字を掛けて、今の自分の年齢でどのくらいの時刻にいるのかがわかるらしい。

自分の年齢を考えると、どうあがいてもこれからは夜のようだ。
夜に順応する為に、年をとると目がみえにくくなったり耳がきこえにくくなったりするのかな。
昼の明るいあいだも見えにくくなっていれば、夜になって見えにくくなっても、まぁこんなもんかなって怖くなくなる。
夜のしんとした静けさにも親しみを感じられるのかも。

夕暮れにはいろんな契約が交わされている。
秘密の、大事な交換。

夜空に星をちりばめるように、あらわれる老人斑。
なんとなく誇り高い。
私の夜はどんな夜だろう。
その夜に広がる星が私の星。


| 老化を走ってはいけません | 12:51 | comments(2) | - | pookmark |
眉のこと

眉が消えた。

鏡のなかの私の眉が、後半30%あたりから徐々に薄くなっているのを発見したのは一週間ほど前の出来事である。
「うすっ」と声に出してとぼけてみたが、眉からの突っ込みは勿論なかった。
日に日に薄くなっていたのかもしれない。
前の日の夜に何かがあったかもしれない。
私は眉のことなど気にもとめずにその日を迎えた。
濃いほどではなかったけれど、描くほどのこともなく、無難な普通の眉であった。

小学校の高学年くらいに、当時、真面目で学級委員をやってたりした女の子が眉なしで登校してきたことがあった。みんなに囲まれて質問責めに合った。太いから抜いてみようと思った。笑顔を盾に、彼女は控えめにそう告げた。言われてみれば太いかもしれなかったが、丸顔に行儀よく並んだ二つのかわいい目を襲ったりはしなかったはずだ。一応の回答に私たちは大きく頷き、眉のことはそれっきりになった。

眉は確かにその人の印象を変える。意志の表れというくらいだから、眉を抜いた彼女の意志はないに等しかったのかもしれない。言い換えれば、彼女は意志をなくしてしまいたいくらいの気持ちだったのかもしれない。実際、眉をなくしてみてどうだったのか。気持ちの変化はあっただろうか。そのあたりのことを彼女に聞いてみたいと思ったが、当時、同じ小学生の私にそんな気の効いた質問ができるわけなかった。

少し短いのかもしれなかった。

小鼻から目じりへと線を結んだ先に、眉尻があるといい。均整のとれた眉であるらしい。その基準にあてはめると少し短いのかもしれなかった。眉を描いた。なだらかに曲線をつなぎ、目指す最終点へと自然に細く。少しでも自分の理想に近づけたい、乙女心だった。眉を描かなくなったのは、30代後半からだろうか。鏡台の引き出しにペンシルが二本、半分くらい使いかけのまま転がっている。

使いかけで転がされたままの乙女心。

過去を見るような目つきで乙女心と再会する。キャップを取って眉を描く。気持ち、上がり気味にする。年を取ると筋力が衰えるから、いろんなものが下がってくるのは知っている。頬、顎、胸、お腹、お尻。理想や夢も下がってきてやしないか。現状維持を守ってやしないか。しっかり守っている。それも大事。その先は、と眉に聞く。消えかかってるよー、まずいよー。

このままで、がいいか。

いいかどうかって言っても、もう薄くなってるから。顔の印象が違うから。鏡のなかの私は、これまでの私とは違っていた。だって、ぱっと見ただけで違うとわかるから。持って生まれた眉。両親から受け継いだ眉。描かなくったっていい。このままでいいと思って描かなくなった。このままいくと眉は少しずつ薄くなり、眉がしらをぽつんと残すだけになる。眉の機能が損なわれても目に影響がないってことは、目のほうもそれなりに衰えていくってことだ。老化。

このままでいいかどうかって言ってても始まらない。老化なんだから、このままが自分なんだから。このままでいいです。ところが『このままで』時は私をほっておいてはくれません。このままがいいとわがまま言っても、見逃してはもらえません。眉がしらをぽつんと残して、麻呂になるまで、麻呂もいなくなって地平線を見るまで、私は眉を描こうと思います。

理想とか美しさとか、そういう目標ではなくて、自分を愛おしむ(いと惜しむ)、友情に近い気持ちで自分をみつめ、老化を歩いたり走ったり(いや、走ると早まるな)、磨いたり削ったりけつまずいたりしたいと思います。


| 老化を走ってはいけません | 13:34 | comments(0) | - | pookmark |
歯科医の椅子
歯医者へ行く。
何年ぶりかの歯科だった。
道は覚えていた。赤い橋を渡って右へ折れてからすぐまた右に入ったところ。
駐車場の区分は5台分。そこがいっぱいだとわかると、素通りして家に帰ればいい。
その日は1台置いてあるきりで、あとの広さは久しぶりに来た人のためにあいていた。
自動ドアがあいて中に通される。
じわじわと歯医者のなかへ入っていく。

「あめでとうございます」
受付の奥さんに第一声を掛けられた。
歯科医の奥さまだ。
突然のショートカットにまず驚いた。
「今年もよろしくお願いします」
今年はよろしくお願いします、だろうか、など考えながら
「髪、短くされたんですね」と尋ねてみる。
「あ、もうだいぶ経ちますけど、見るのは初めてですよね」
「はい」

目鼻立ちのはっきりした美しいひとである。髪は短くても長くても、美貌は損なわないんだなと思う。気分を変えたりしたいでしょ。とあっさり言ってのける威勢のよさも、この歯科医に通って来る理由のひとつ。

「りりさんはちっとも変わらないのね」
笑みを浮かべる彼女から、何年分かの時間をすっかりはぎ取られてしまう。そんなわけはない。白髪もいくらか埋蔵してるし、しわも増えている。体型だって皮膚の張りだってあきらかに変化している。なんてったって、老眼デビューしたのだ。たとえお世辞にも変わってないと言われても、手放しでは喜べない。それに、変わらないのは幼いままという意味もあるのだと思ってしまう微妙な年齢だ。
「いえいえ、だいぶ老化しました」と答えると
「60までは全然大丈夫よ」
すぐに返ってきた。60の自分を想像しようと思ったが、思い浮かばなかった。
でも、とりあえず大丈夫らしい。
細かいことはわからないけど、とにかく大丈夫と言われたことで大丈夫と思えるときだってある。

何年ぶりかで歯科医に来たのは、詰めたものが取れたから。たぶん、取れなければ来なかった。そんなわけなのですが、何年ぶりかのスリッパを履き、何年ぶりかの椅子に座り、リクライニングしたところに、ぽっかりと窓はあった。懐かしい空が広がっていた。

懐かしいと感じたのはどういうわけなんだろう。
見えるものといったら民家の屋根と木々と塀。
その景色に特別な思いを持っているのでもなかった。
「はい、口をあけてくださいね」
ぼんやり外を眺めながら、口を大きくあけた。

機械の音と、時おり穏やかな声。
衛生士さんもそうだけど、もっと穏やかなのは先生の声。
低音で柔らかく響く。聞き取りやすい発音で絶妙な早さを選んで話しているかのようだ。
早口ではないし、ゆっくりすぎてもいない。
話しかけられても私はどっちみちyesもnoも選べない。
声に合わせて進んでいくしかない。
窓に映る雲のようだな。
流れていくのが自然ってことか、そう思った時、ふいに懐かしさが身近になった。

生まれた時にはまだ生えていない歯が、だんだんと生えてくる。
小さな歯が生えそろってまた一本ずつ抜けていく。
歯磨きしたり虫歯になったり、欠けたり埋めたりして修正する。
生まれた時から時間とともに、歯は変化している。
歯だけじゃない。体は常に変化している。
体だけじゃない。気持ちも常に変化する。
だけど、変わらないものがある。

「りりさんは変わらないね」
という言葉のなかの、何か私の変わらないもの。
変わらないものを抱えている私が、窓の外、流れる雲を懐かしく思う。
流れていく、変わっていくものを自然と感じる時、そうではないものを持っている自分が椅子に座っていた。
| 老化を走ってはいけません | 22:54 | comments(0) | - | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

SPONSORED LINKS

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

ツイート

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH