今朝はもう雨で、町の色が一段暗い、落ち着いた色合いに染まっている。
きのうも晴れではなかったが、気持ちの良い風が吹く、初夏の天気だった。
行こうかどうしようか迷っていた、山口、湯田温泉の中原中也記念館と授賞式。
迷っているうちにお昼になった。
午前中に、いとこが帰って来ていた。
東京と大阪からだ。
子どもの頃は家族のように遊んでいて気がつかなかったけど、大人になると自然にいろんなことが話せる関係になることができて嬉しい。
スマホのこと、ツイッターのこと、年老いた両親のこと、お墓のこと。
話をしながら、時計を見ていて、行くなら今日だと思い始めていた。
私が詩のようなものを書き始めたのは、かれこれ15年以上も前で、その頃は「現代詩手帖」など詩の世界は、自分の生活とは全く無縁な別世界のものだと思っていた。
それでも、書いてみたものを詩人と言われる人によんでもらいたくなった。
当時、地方紙の詩の選者をしていたのは北川透さん。
いくら送っても選んでもらえなかった。
それから婦人公論の井坂洋子さん。
井坂さんにはじめて詩の評をもらったことを今でも鮮明に覚えている。
それから、第二回中原中也賞を受賞された長谷部奈美江さん。
私は長谷部さんの詩が大好きで、一度だけ葉書を出したことがある。
ファンレターというやつだ。
返事が来なくて当たり前と思っていたけど、お返事が葉書でやってきた。
とてつもなく嬉しかった。
授賞式に、そんな別世界の雲の上にいる人が次から次へとやってくる。
やっと気がついた。
中原中也授賞式には暁方ミセイさんだけが来るのではない。
これまで描いていた詩の世界が、私の目の前にあった。
荒川さん、嬉しそうにミセイさんを見守っていらした井坂さん、北川さん、佐々木さんはあの方だったろうか、高橋さんを見逃したと思う、壇上でまぶしそうに目を細めてらした蜂飼さん。他にもきっと詩人さんがいて、ロビーに座っていた方やあの人やあの人も。カニエさんのお名前もあったのに、どの方がそうなのかわからなかった。
胸のうちで何度も歓声をあげていたのが漏れてしまわないかとどきどきした。
以前、文月さんが受賞されたときにも最果さんが受賞されたときにも、行ってみたいと思った。
私にとってほとんど空想と同じような世界にいる人をこの目で見たいと思った。
その人の姿や声を聞いて、納得したかったのかもしれない。
自分が地に足をついて詩を書いていること。
私の現実と詩がつながっていること。
2012年4月29日 曇り
いとことの話は飛行機や新幹線の話で終わり、私は車を走らせた。
実際に走らせたのは、相方、私の旦那だ。
車を運転させると右に出るものはないと信じてやまない。
地図がなくてもぴたりと目的地に着いてしまう。
私は彼を世界一のレーサーと思っている(言い過ぎました、)
彼の車以外は信用できないから、できるだけ他の人の車に乗らない。
これは言い過ぎではなく、今も着実に守っている。
山合いの、のどかな風景の中を走る。
鯉のぼりがずらりと山すそに、また橋のように川をまたいで上がっている。
色鮮やかな鯉は風をはらんでふくらみ、勢いよく空に泳ぐ。
水を張った田んぼが後方に走る。
東北でも、もうすぐ田植えだろうかと思う。
市内に入ると、急に建物が増えてきた。車も多くなった。
温泉街に道を曲がると、人が歩いている景色になった。
授賞式の行われる「松政」へ、私も歩いて行く。
入口で出迎えてくださる旅館の人のあたたかい声。
ロビーの案内板で授賞式が2階であることを知る。
見上げると、少し螺旋になっている、ゆるやかな階段。その上に敷かれている絨毯の上をぎこちなく上がっていく。
受付にいる方に声をかけて、ミセイさんに会いたいと伝えると、今リハーサル中なので中で待っていい時に声を掛けてください。
親切で丁寧なお返事に感謝して、扉の中に入った。
まぶしい照明の壇上に、ミセイさんがいた。
花束を受け取り、礼をしたり、スタッフのアドバイスに耳を傾けたりしているミセイさんがいた。
しまったと思った。
勢いでここまで来てしまったけど、とても失礼なことをしてしまったのではないかと帰りそうになった。そんな気持ちを撥ね退けるように、壇上から降りたミセイさんにおそるおそる近寄る。
こんにちは。はじめまして。
ミセイさんはきょとんとした表情。
当たり前だ。知らないおばさんに声をかけられたのだから。
不審者と思われなかっただけありがたい話だと、あとで旦那に言われた。
名前を告げると、わかってくださり、私はその時になって、名前を言ってもぴんと来なかった時のその後のことを考えていなかった自分をいきあたりばったり人間と命名することにした。
ミセイさんは裾がふんわりと広がっている青いドレスで、お揃いの白い飾りを左胸と髪に留めていた。
長い髪が肩あたりからカールになっていて、とてもかわいらしいなと思った。
話している間は、そう長くはなかったと思うのだけど、気が付いたらミセイさんの横に主催者の方だろう、品のよいおじさまが、すぐ近くでこちらを見ていらした。
すみません。もう終わりましたので。
リハーサルの途中で突然お邪魔したのだ。
もう帰らなくては。
頭を下げ、急いで扉の外に出た。
授賞式は最後まで見てから、帰途についた。
村田喜代子さんの講演がそのあとあったのだが、見られなくてほんとうに残念。
受賞式への一般の人の参加ができることも、旅館の方やスタッフの方が快く対応してくださったことも、ほんとうに嬉しく奇跡のような一日でした。
ありがとうございます。
そして、ミセイさん
中原中也賞受賞、ほんとうにおめでとうございます。
授賞式での挨拶、ばっちりでしたよ。
それからもうひとつ。
忘れることのできない出来事がある。
長谷部奈美江さんとお話できたことだ。
第2回 中原中也賞を受賞されたころからの大ファンで、そのことを15年も経ってから伝えることができた。こんな日が来るなんて思いもしなかった。
嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。
長谷部さんはショートカットの似合う金麦の人みたいでした。
一生に出会うことはないと思っていた人と出会えた。
こういうの、奇跡って言っていいよね。
奇跡は現実の世界にあるんだ。
興奮冷めやらずで書いたので、あちこち辻褄があわないかもしれませんが、春なので大目に見てやってください。「春はつじつまが合わない季節」という言葉は、詩人の福間健二さんがツイッターで書かれていたものです。これから詩のツイートをされるそうなので、とても楽しみです。
今朝はあられが降りました。
屋根のほうがぱちぱち音がして、思わず天井をみあげました。
降って来る。
音をたてて降って来るのは春だったのでしょうか。
あられはやがてみぞれに変わりました。
びたびたと濡れてくる屋根の下で、ひととおりの仕事を終えました。
明日は日曜日です。
今日、詩集の校正を済ませて、原稿を返送しました。
何度も自分の書いたものを読むと、自分の手元からどんどん離れていくような気がしました。
はじめての詩集作りで、これまでに感じたことのない感情や思いを味わっています。
流れていく川に、草や石や声なんかを投げ入れて、静かに浮いているのやしばらくたって沈んでいくのや遠くに小さく消えていくのや、そういう場面をじっと見ている感じです。
川岸は桜で満開になりました。
毎年思うのだけど、桜は白いです。
そういえば朝、出勤するのに、桜の花びらが一枚サイドミラーについていました。
風に飛ばされ張り付いたのでしょう。
右のミラーを見ると、桜の花びらが見えます。
後ろの車や風景よりも、桜の花びらが見えてしまうのです。
右サイド、春でした。
老人斑というものがある。
長年の皮膚の疲れで、カプチーノみたいな薄い色でできるシミ。
産まれてから一年365日、太陽の光を浴びて、空気の摩耗を受け、浴槽に浸り、何年何十年と暮らしてきた。
心臓の活躍、血管の働き、筋肉の縮小にもお付き合い。小さい頃から大きくなるまでの発達の過程にも手をとって付き添った。複雑な気持ちの変化には尚更だ。
手の甲や腕、ほっぺのあちこちに現れたシミを見つけて、からだにご苦労様と言わなくちゃと思う。
人間の一生を一日に例えることがある。生まれた時が朝、10代20代は昼。30代からは午後。40代は夕方。これから夜になる。生まれる前の長い時間は夜明け前ってことなのかな。
24時間で例えることもある。年齢に数字を掛けて、今の自分の年齢でどのくらいの時刻にいるのかがわかるらしい。
自分の年齢を考えると、どうあがいてもこれからは夜のようだ。
夜に順応する為に、年をとると目がみえにくくなったり耳がきこえにくくなったりするのかな。
昼の明るいあいだも見えにくくなっていれば、夜になって見えにくくなっても、まぁこんなもんかなって怖くなくなる。
夜のしんとした静けさにも親しみを感じられるのかも。
夕暮れにはいろんな契約が交わされている。
秘密の、大事な交換。
夜空に星をちりばめるように、あらわれる老人斑。
なんとなく誇り高い。
私の夜はどんな夜だろう。
その夜に広がる星が私の星。
春は雨が多い。
きのうとてもよいお天気で、上着を脱いでも汗ばむほどだった。
今朝はもう雨。
電線のしずく。
アスファルトがゆったり湿っている。
3月3日 ひなまつりのあと。
女の子たちとのおしゃべりが軽く耳に残っている。
誰かが何かを言うと、それに対していろんな突っ込みが入る。
女の子は感情の受け渡しが得意。
声の高さ低さ、ささやき、断定、透き通っていたり濁りがあったり、女の子の声は複雑で楽しい。
梅の花は咲く前で、つぼみが少し大きくなった。枝と同じくすんだ灰色だったが、鮮やかなピンクが見えてきた。木蓮のつぼみがふくらんできた。もっともっとふくらむだろう。
背丈の低く、幅のある灯篭、すっと背筋の高い灯篭。100年を超えて活き活きとした松。風が時おり強く吹く庭を、彼女たちは撮った。
詩集の話を少し。
詩集に入れる作品をようやく決めて、出版社にお願いしました。
入れたかった作品も、もっと変わったものにしたいという思いで取りやめたりしました。
イラストは、私の詩を読んでもらって、お願いをしました。
彼女のOKの返事で、この詩集作りは始まったと思っています。
そのイラスト、表紙とは別バージョンのポストカードも制作中です。
変更がなければ、カードを一枚ずつ、詩集と一緒にお届けできると思います。
ほんとうに素敵なイラストで大好き。
楽しみにしていてください。
雪が降る寒い一週間が過ぎたあと、ぼんやりとした曇りの日が続いた。
時おり、雨の一日があって、ゆっくり春に滲んでいくような日々。
仕事での大きなイベントが終わって、一息ついている。
庭の写真を撮ろうと意気込んでカメラを手にしたが、今の季節に花はなく曇り空。
なんとも地味な色合いになってしまった。
梅の枝の端までびっしりとつぼみが膨らんでいた。
木蓮もかわいらしい灰色のふわふわを覗かせている。
庭を撮るついでに、家の裏側に回ってみる。
裏側から見る風景は、いつも表側から見ている風景とは全く違うものだった。
建物の壁と屋根の形がはっきりと見て取れる。
窓の位置や大きさが違う。
色合いから明るさまで、別の建物のように感じた。
家の近くのバス停をひとつ手前で降りたりするんよ。
ほんの20円くらいだけど安いし、運動になるからね。
母はリハビリに通っていた。
昨年、手首を骨折したのだ。
複雑骨折だったので、手首の位置を確かなものにするため金具を添える手術となった。
手術はうまくいったのだが、その夜、麻酔が切れてから吐き気が続いた。
苦しくてもう死ぬのかと思ったと母はそのときを思い出して身が震える。
医者が到着したのは夜が明けてからだった。
あの苦しさを思えば、今はこうして家で暮らせているし、バスでリハビリに通うのはなんてことないよ。
医者や看護婦、リハビリの先生に感謝している。
母が病院から帰る道。それは生活する我が家へと帰る道。
そこに家があり、家族がある。
楽しみも苦しみもともにある場所だ。
しかし、残念なことに父がいない。
坂道を降りて平地を歩いて行くと、家の屋根が見えてくるの。
あ、見えてきた、と思ってね。
歩くほどに、どんどん見えてくるんだけど、その時はっと気がついてしまう。
お父さんがいないんだって。
あそこで待っててくれたらどんなにか嬉しいんだけどね。
父の葬儀で涙を流さなかった母。その後2年のあいだ、私は母の涙を見たことはない。
涙が出ない人間なのよ。自分でそう言って笑う。
母が薄情でないことは私が知っている。
父の心臓の手術で広島の病院につきそった。膵臓を患った時は毎日介護に明け暮れていた。父のいないあいだ、庭の草取りや梅の消毒、なにもかも自分でやろうとしていた。自分が行動することには、それが誰かのためであろうとなかろうと、愚痴を漏らさない人だ。
そんな母が、我が家を後ろ側から見た時に涙が出たと言う。
普段、表側から出入りしているときには静かにしていた感情が、後ろ側を見た時に一気にあふれたのだろう。父とつながる裏道がそこにはあったかもしれない。